hideの「misery」考

2018.05.16 Wednesday

0

    唐突ですが、hideの「misery」という曲について語ります。

     

    Xjapanは苦手でしたが、hideのソロは当時(中学生かな)好きでした。

     

    最近久しぶりに聞いてみたら、

    当時は全然理解していなかった歌詞の奥深さに驚きましたので、

    ここはいっちょう歌詞の解説をしてみようかと思います。

     

    奇しくもhideの没後20年で近々ドキュメンタリー映画が上映されるそうなので、ちょうどよい機会かと。

     

    革作家が何やってんだと言われそうですが、とにかくやりたいことをやると決めたので、

    とりあえず書いてみます。

     

    曲はこちら


    この曲の背景は、難病を煩っているhideの大ファンの少女、 

    真由子ちゃんを励ますために作られたということです。優しいね。

     

    タイトルのミザリーとは「惨めさ、不幸、苦しみ」と、

    綺麗な響きとは裏腹になんともネガティブな意味となっています。

     

    なお、僕なりの勝手な解釈ですので、hideファンのみなさま、ご了承ください。

     

    それでは歌詞をみてみましょう。

     

     

    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    Do you wanna show me how low & low?
    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    Do you wanna show me how low & low?
    SAY ハレルヤ

     

    苦しみを讃えよう

    君は自分がどんなに悲惨な状況か見せたいのかい?

    さあ、讃えよう

     

     

    君の痛み うれしそうに 羽根を広げて舞い降りてくる
    昼の光は 君の傷を抱いて 優しく広げてゆく

     

     

    「痛みや傷」が、「うれしそうに舞い降りる」とか、

    「優しく広げる」とか、妙にポジティブな表現をしています。

     

    ハレルヤ ラ ミゼラブル 星の嘆き聞けば
    ハレルヤ ラ ミゼラブル ほんの小さな事だろう
    SAY ハレルヤ

     

    夜の闇に落ちてゆけば 忘れてしまう事なのかも

    揺れる思い つかのまの夢 小さな悲劇

     

    降る星の数 数えたら 泣くのに飽きたろう
    笑う月の蒼さ 傷をなでて 閉じてゆく

     

    このあたりは星の途方もない距離や時間と比較して、

    君の苦しみは君が思っているより小さなことかもしれないよ、

    夜の闇に落ちる=眠ってしまえば(無意識になれば)忘れる程度のことかもしれないよ、と

    冷静に苦しみと向き合って、その苦しみの大きさを客観的に認識することで

    楽になっていくかもしれないと言っているようです。

     

    そしてサビ。

     

    Stay free your misery.

    降りそそぐ悲しみを その腕の中に抱きしめて
     

    Kiss your misery.
    枯れるまで踊るだろう 全て受け止めるよ このまま

     

    Stay free my misery.

    Stay free my misery.
    Stay free my misery.

     

    stay free 直訳すると「自由なままでいる」

    苦しみから自由なままでいろ=「苦しみに囚われるな」という意味だと思います。

     

    「苦しみに囚われる」とはどういうことか?

     

    意識が「苦しみ」に張り付いてしまうことで、

    自分のなかで苦しみをどんどんを大きくしてしまっている状態。

     

    例えばどこか痒い時、掻けば掻くほど痒いところが広がっていって、

    つい皮膚を傷めてしまう程掻きむしってしまうことありませんか?

     

    真夏に「暑い暑い」と言うと余計に暑く感じたりだとか。

     

    他のことに集中していると、以外と痒さとか暑さとか忘れてたりするのに。

     

    なにかネガティブなものに意識を向ける(抵抗する)と、それが自分の中で、

    実際以上に大きな存在になる。

    大きな存在になるから、またつい意識(抵抗)してしまう、

    そしてまたネガティブを肥大させてしまう。

    このネガティブの悪循環に陥ってしまっていることに自分では気づかず、

    抜け出せなくなってしまっている状態。

    それが、「苦しみに囚われた」状態だと思います。

     

    抵抗するものははびこるのだ!

     

    ちなみに「囚」という文字は人という字が壁に囲まれてますね。

    ネガティブなものに抵抗してせっせと壁を作って、そこから出られなくなっているのは、

    まぎれもなく自分自身。

     

     

     

     

    ではどうするか?

     

    そう、抵抗しない。「受け入れる」んです。

    ありのままの苦しみを受け入れて「気にしない」んです。

    そうすれれば、それは脳内で肥大することなく、

    いつかは消えてなくなります。

     

    心頭滅却すれば火もまた涼し

     

    心を自由に、ニュートラルに保つことの重要性を言ってます。

     

    Stay free my misery.
    炸裂する痛みが 駆けぬけるだけの風ならば

     

    Stay free my misery.
    雨のち晴れを待とう ほら 君の涙を食べちゃおう

     

    君の涙を食べちゃおう、とポップでキャッチなフレーズから

    レゲエ調のCメロへと繋がります。

    そしてここからがこの作品のキモ。

     

    悲しいと言うならば 空の青ささえも
    届かないもどかしさに 君は泣くんだろう

     

    この世に起こる出来事、現象はすべて”良い”も”悪い”もなく

    ニュートラルです。そこから何を見いだすかは自分の思考次第。

    物事のネガティブな側面しか見なければ、例え青空を見ても

    「あそこに届かない。もどかしい!」などとネガティブな要素を探し出しては悲観的になるのです。

     

    コップに水が半分入っているのを見て

    「もう半分しかない」と思うか、

    「まだ半分もある」と思うか、

     

    「いい」、「悪い」を決めつけ、幸、不幸を選択しているのは、すべて、いつでも、

    自分自身の思考なんです。

     

    君の小さな身体包んでる夢は 痛みを飲みこみ 鮮やかになる
     

    「君の小さな身体包んでる夢」とは何でしょうか?

     

    ここからかなりぶっとんだ解釈になりますが、

     

    「君の小さな身体」が自分の本質的な部分、(こころ、魂、目に見えないもの)

    だとすると、それを包んでいる夢とは、肉体(物質、目に見えるもの)であり、

    自分の体というのは確かに存在しているような気になってますが、

    原子レベルで見ると、食べ物を入れたり出したり、呼吸したり、髪の毛が抜けたり、

    常に他の物質と交流しており、どこからどこまでが自分の身体なのか、というのは実は曖昧です。

    人の体の細胞は数年ですべて入れ替わるらしい。

     

    肉体(物質)というのは、とどまることのない、確かに在るような、無いような、

    うたかたの夢のようなものと言えるのではないでしょうか。

     

    形あるものはすべて空である。

     

    これぞ「色即是空」

     

    ブッダまで出て来た!なんてこった!

     

    そしてその「夢」は痛みを飲みこみ、鮮やかになる。

     

    失ってはじめて有り難さがわかるように、

    病気になってはじめて健康の大切さがわかるように、

     

    ネガティブなものがあるからこそ、ポジティブなものを認識できるんです。

     

    闇がなければ光も存在しません。つねに陰陽はセットです。

     

    ポジティブが良くて、ネガティブが悪いというわけではありません。両方必要。

    大切なのは、囚われないこと。

     

    ネガティブに囚われている自分に気づき(重要!)、受け入れることではじめて、真のポジティブに

    気づくことができ、命が鮮やかに輝きだすんです!

     

     

    Stay free my misery.
    手を伸ばせば感じる その痛み両手で受けとめて

     

    Stay free your misery.
    愛しさを 憎しみを 全て受け止めて そのまま

    Stay free your misery.

    Stay free my misery.
    降りそそぐ悲しみを その腕の中に抱きしめて

     

    Stay free your misery.
    枯れるまで踊るだろう 全て受けとめて この空の下で 君が笑う

     

     

    あとはもう、ひたすら「受け入れろ」と言っております。

     

    そしてついに「君」は悲しみを抱きしめて、

     

    (いままでは届かないと言って泣いていた)空を見て、

     

     

     

    笑うんです。

     

     

     

    感動の着地!!

     

     

     

    *「この空」というところもポイント。青空でも曇り空でもない。

    どんな空であろうと「いま、この瞬間」の空を見て笑えるかどうか。

    例え雨でも、いま、この空を見て笑えないのであれば、未来に

    青空になったとしても笑えることはない。

    幸せを未来に求めても、「いま」幸せを感じられなければ、

    「いま」の延長線上にある未来に幸せを感じることはできないのだ。


     

     

    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    I wanna show you how low & low?
    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    Do you wanna show me how low & low?
    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    I wanna show you how low & low?
    ハレルヤ ラ ミゼラブル
    Do you wanna show me how low & low?
    SAY ハレルヤ!

     

    苦しみを讃えよう

    俺がどんなに悲惨な状況か君に見せたがると思うかい?

     

    悲しみを讃えよう

    君は自分がどんなに悲惨な状況か俺に見せたいのかい?

     

    さあ、讃えよう!

     

    最後の訳は難しいんですが、「俺」はhide本人のことで、

    「君」は真由子ちゃんのことかなあと思います。

     

     

     

     

    ということで、ずいぶん長くなりましたが、解説でした。

    言いたい事が伝わっただろうか、、

     

     

    病気であるファンの子に対して、頑張れとか、負けるなとか安易な言葉じゃなくて、

    「受け入れろ」と言う。これはそうとう本気で考えて、深くまでイメージしないと出ない言葉だと思うんです。

     

    hideとうい人物の奥深さや曲のセンスは底が見えないところがあって、

    改めて聴いてみると、何か、光と闇の狭間で揺れ、葛藤していた人のように感じます。

    どのように進化するのか、もっと見ていたかったアーティストです。

     

    いかがでしたでしょうか。また気が向いたら「ever free」という曲の解説もするかもしれません。

    こちらも大好きな曲。

     

    それでは。

     

     

     

     

     

     

     

     

    「其れ恕(じょ)か」

    2018.05.07 Monday

    0

      「子貢、問うて曰く、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。

      子の曰わく、其れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」

       

      生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、

      孔子は「まあ恕だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。と答えました。

       

      恕とは相手の気持ちを考える、思いやりのこころ。

       

      これは7年前の今日、結婚式をあげた白山比め神社からいただきました。

      当時はあまりピンと来なくて、字面も”怒”や”怨”に似ていてなんかこわいし、

      何だ かなーと思って飾ってなかったんですが、

      最近ふと、”心の如く”と書いて”恕”なんだなと気づいたら、

      すごく大事なこと言ってるんじゃないかと思ってごそ ごそと引っぱり出し、

      カミさんに「恕なんだよ、じょ、大事なのはじょ!」とか言って「ふーん」て流されてたんですが。

       

      相手の気持ちを考えるって、簡単なようで、なかなか難しいことですよね。「

      自分がされて嫌なことは人にしない」って子どもにも言いますが、はたして大人は 実践できているのだろうか?

      幼稚園児のケンカから、果ては国家間の戦争まで、結局両方自分が正しいと思ってるから争いになるわけで、

      正しいか正しくないか で物事をみると、「正しい」の基準は人によって違うし、世代や国や環境によって様々です。

      自分が正しいと思うと喧嘩になるのは当たり前なんです。

       

      大事なのは正しいかどうかじゃなくて、こころ。

       

      相手の気持ちを想う想像力。

       

      ということに今更ながら気づきました。これからもよろしくお願いします。

       

       

       

       

       

      サザエさんの「何もなさ」について

      2018.03.26 Monday

      0

        最近やたらとサザエさんを見ている。

         

        うちはテレビは置いてないので、子どもにはパソコンで動画を見せている。

         

        3才になった息子が保育園で覚えてくるのか、仮面ライダーや戦隊ものを

        見たがるようになり、ちょくちょくみせていたが、
        内容をまだ理解できない子どもにとって、ただ異形のものを悪とみなし、

        問答無用にやっつけるのは、教育上良くないのではないかと思い、
        なるべくジブリや日本昔話など、自分の好きなものだけを見せていた。

         

        ただそればっかりだとさすがに飽きてくるので、他に何か適当なものはないかと

        探していたところ、ある日ひょんなことからサザエさんを見てみた。

         

        無害である。

         

        暴力的なシーンも無ければ、戦隊もののようなおもちゃ会社の思惑もない。

         

        これはいい。安心だ。

         

        しかし、サザエさんの凄いところは、無害であるどころか、

        愛や友情の大切さをうたうこともなければ、人生における教訓もない。

         

        なにもないのである。

         

        見終わった後に何の印象も残っていない。
        ストーリすら思い出せない。

         

        これはどうゆうことだ。

         

        この何もなさはただごとではない。

         

        サザエさんとは一体なんなのだ。

         

        サザエさんのことはもちろん知っている。
        僕が子どものころからテレビで放送していたあの国民的な人気アニメだ。
        あれはたしか土曜の夕方だったか。
        火曜にもやっていた気がする。
        週に2回もやっていたのか。すごいぞ。

         

        そんなに見ていたのなら、

        当然僕の幼少期はサザエさんにどっぷり浸かっていたわけであり、

        成長するうえでの何らかの影響を少なからず与えているはずである。

         

        そう、サザエさんと言えば・・

         

         

         

        わからない。

         

         

         

        サザエさんとの思い出が出てこない。

         

        そんなはずないじゃないか、あんなに慣れ親しんだサザエさん、
        なにか1つぐらい記憶に残っているはずだ。

         

        そうだ歌があるじゃないか。
        誰もが知っているあの有名な歌が。

         

         

        ♪おさかなくわえたドラねこ追っかけて
        はだしでかけてく陽気なサザエさん

         

         

        おお、猫を追いかけてはだしで出てったのか、

        これは面白くなりそうな予感がするじゃないか。

         

         

        ♪みんなが笑ってる、お日さまも笑ってる

         

         

        ああ、そんなサザエさんを見れば確かにみんな笑うだろう。
        それよりサザエさんはどうなったんだ?続きが気になる。

         

        しかしここで唐突に

         

         

        ♪ルールルルルッルー
        今日もいいてんきー

         

         

        である。

         

        始まりかけたストーリーを丸投げしてルールルルルッルーである。
        そこから投げやりに今日もいいてんきーで強制終了だ。

        起承転結の起しか提示していない。

        もう意味というものをまるで拒絶している。

         

        このようにサザエさんは一事が万事この調子で、
        どこをとっても雲をつかむようにするりするりとかわされる。

         

         

        サザエさんは僕らに何も与えてはくれない。

         

         

        と、ここまで書いて僕は気付いた。

         

        僕たちは日々のあくせくした暮らしの中で、

        他人から何かをもらうことばかり考えていたのではないか。
        生きることに意味ばかり追い求め、得ることにしか意味を見いだせなくなっていたのだ。
        与えてくれないものには価値がない、と思い込んでいた。

         

        そんな僕ををあざ笑うかのようにサザエさんは

        何も起こらない日常をただ陽気にすごしている。

         

        それこそがサザエさんの教えなのかもしれない。

         

        何も起こらない日常にこそ真実の安らぎがあると。
        みんなが笑って、いい天気ならそれでいいじゃないかと。

         

        サザエさんに「あなたは何者か」と問えば、彼女はきっとこう答えるだろう。

         

        「サザエでございまーす」と。

         

        そこには、どこにも帰属しない、なんの肩書きもない、

        いっさいの社会的な意味から解放された
        一人の等身大の女性が立っている。

         

        それ以上でも、それ以下でもない、ありのままのサザエさんが。

         

        何も奪わず、何も与えない。

        そして何にもとらわれない。

         

        サザエさんは自由である。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        財布はエネルギーの玄関

        2018.03.14 Wednesday

        0

          はい、ぶっちゃけます。

           

          ど貧乏です 笑

           

          いままで、僕自身は貧乏はそんなに苦ではなかったんですが、
          あまりにお金がないと不自由だし、夫婦喧嘩も増えるし 笑
          お金の心配ばっかりしている生活ももう飽きたので、最近は貧乏脱出計画中です。

           

          といっても、具体的に副業をするとか、値上げするとか、
          そういうことではなくて、
          もっと、根っこの部分、「お金」に対する意識を変えるところから
          はじめる必要があると思っています。

           

          どうも自分はお金に対してネガティブなイメージを持ってしまっていて、
          それは幼少期の刷り込みで、親の価値観だったり、
          教育やテレビの影響だったりで、
          お金持ち=嫌らしい、悪いことしてる、汚らわしいみたいなイメージがあります。
          お金を稼ぐということが自分の中の美徳に反する、みたいな。

           

           

           

          お金が欲しいのに、心のなかではお金の事を拒絶している、矛盾した状態。

           

          そんな状態で無理してお金を稼いでもキツいだけだし、
          そのうち心と体のバランスを壊して病気になると思うので、
          まず、お金に対するイメージを変える所から始める必要があります。

           

          ということで、まず「お金とはなんぞや」
          という根本的なところから考え直します。

           

          当たり前ですが、お金それ自体に価値はなく、みんながそれを暗黙のうちに
          価値を了解しているから、1万円札に1万円の価値が産まれます。
          みんなが価値を共有できていなかったら、1万円札はただの紙切れです。

          ということは1万円の価値というのは実体の無いもの、概念だけなんですね。

           

          「お金は信用だ」という人がいます。
          「お金は感謝だ」という人もいます。

           

          多分そうなんだろうと思います。何にせよ、目に見えない1万円分のエネルギーが世の中を回っていて、
          それを見えるように具現化したものが1万円札という紙切れです。

           

          お金っていうシステムは凄く便利なもので、
          自分の持っている、あるいは産み出した価値を一旦お金に変換することで、
          円滑に他の価値と交換できます。

           

          例えば、大工に家を建ててもらったから、そのお返しに農家が大根10000本あげても、
          困っちゃいますね、物々交換だけでは限界があります。
          でも大根の価値を一度お金に変換すれば、可能になります。

           

          お金は価値(エネルギー)を保存して貯めることが出来るし、持ち運び出来るし、
          だいたい何にでも交換できます。

           

          それぞれが自分の好きなことで価値(エネルギー)を産み出して、それを交換して
          みんなが自由に楽しく暮らせる、お金って本来素晴らしい道具なんだと思います。

           

          しかし、お金は道具なので、ハサミと一緒、使い方を間違えれば危険なものにもなりますね。

           

          お金で豊かになるのも、不幸になるのも、使う人次第。

           

          できればお金をポジティブに受け止めて、
          いいエネルギーを世の中に回して行けたらいいなと思います。

          そんなお金の出入り口、玄関となるのは、財布ですね。

           

          なるべく良い気分で財布からお金を出し入れしたい。
          ポジティブな感情でお金と付き合いたい。

           

          そのためには、お金の玄関である財布を自分らしく、愛着のわくものを使うと
          いうことが結構大事なのではないでしょうか。

           

          良い気分でお金を払って、良い気分でお金をもらえる。
          結果的に良いエネルギーが回って、笑顔が増える。

          そんな世の中がいいなあと思います。

           

          グリグリレザーズは
          「お金の貯まる財布」ではなく、
          じゃんじゃん使って、じゃんじゃん入ってくる、
          「お金の回る財布」をつくりたいと思っています。

           

           

           

           

           

           

          といっても、ド貧乏の僕が言っても説得力ないんですが、、。

           

          共感してくれる方、グリグリレザーズの財布使って、みんなで豊かになりませんか!?

          以上、長くなりましたが、宣伝でした!!

           

           

           

          Hさま、オーダーありがとうございました!

           

          wallet ksks long/B×DB
          size W17.5cm×H9cm

           

          商品のお問い合わせはこちらから
           

          大雪の記録と「自立」について

          2018.02.14 Wednesday

          0

            記録的な大雪ということで、記録に残しておきます。

             

            この非常事態にカミさんがまさかのインフルエンザで休場!

             

            ひたすら雪かきと家事、子どもの世話と怒濤の毎日でした。

             

            雪の重みで家の戸が空かなくなったり、
            屋根雪が落ちたら車がつぶれるんじゃないかとハラハラしたり、
            なかなかサバイブ感がありました。

             

            でも得たものも大きかったです。

             

            問答無用に降り続く雪に恐怖を感じたり、天候を読んで段取りしたり、
            体全体で自然と向き合うなかで、
            普段、部屋の中で細かい作業ばっかりしているのとは違った感覚、
            外(自然)にたいして感覚が開いたような気がします。

             

            山を一人歩きしたり、外国を一人旅してた時のような感覚が甦った感じ。

             

            「自立」ということについて、僕は今まで「自分の手で稼ぐ」ということに重きを置いてきましたが、
            もっと生活の土台になる部分での自立の必要性を感じました。
            例えば、保存食がしっかりあって、薪ストーブで、車を使わなくても大丈夫な生活をしていれば、
            今回のような大雪でもそんなに慌てなくてすむんですね。

             

            便利なものも否定はしませんが、それに依存してしまうと、いざという時に自分の足で立てません。

            極端に言えば、やっぱり自給自足が生きる上で最強の「自立」かな思います。
            それプラス「自分の手で稼ぐ」という自立も目指したいです。

             

            内(自分)に向けた自立と、外(自然)に向けた自立、このバランスをとっていきたいと思います。

             

            そういえば「崖の上のポニョ」で大津波の後、家に入ってから

            リサ「さあ、水はでるかなー?」
            ポニョ「でたー!」
            そうすけ「丘の上に貯水タンクがあるからだよ。」

             

            リサ「火はつくかなー?」
            ポニョ「ついたー!」
            そうすけ「プロパンだからだよ。」

             

            っていうシーンがありましたね。
            そのあと自家発電機もつけてました。

            なんでもないシーンのようで、けっこう大事なメッセージだと思います。

             

            日本各地でさまざまな自然災害が起きていますが、
            こういう感覚に気づいている人は多いと思うし、
            これからますます重要なキーワードになってくるんじゃないでしょうか。

             

            ようやく通常の仕事モードに入れます。お待たせしている方々すいません。。