三ねんねたろう

2018.07.06 Friday

0

     

    子ども生まれてからいろんな絵本読みましたが、今のところこれが一番好きな一冊です。

     

     

     

     

    頑張っても頑張ってもうまくいかなけりゃ、頑張るのやめてみればいい。罵られようが、怒られようが、こころゆくまで寝ちまえばいい。

     

    でも、これだ!というものを見つけたら、そのときは馬鹿にされようが笑われようが、自分を信じて突き進む。

     

    新しい時代をつくるのはいつもそんな愚か者。

     

    常識に囚われず休み、常識に囚われず働く。

     

    自分を愛し、自分を信じる。

     

    ねたろうまじリスペクト。

     

    昔話から教わることは多いです。

     

    絵も文章も素朴でかわいい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    お金と仕事とありがとう

    2018.05.31 Thursday

    0

      娘が6才になって、最近お金に興味を持ち始めてるんですが、お金と仕事にたいして、あんまりネガティブなイメージを持って欲しくないので、ここはやっぱりちゃんと教えねばと思い、どんな風に教えたらいいか考えてたんですが、割とシンプルに考えがまとまったので、メモがてらに書きます。

       

      子どもに教える前提で書きますので 笑

       

      まず、お金とは仕事をしてもらうもの。そして仕事とは何かというと、簡単にいえば人の(社会の)役に立つことだと思います。

       

      そして役に立つとは感謝されること。

      要するに、人に感謝されることをすれば、お金がもらえます。

       

      お金=ありがとう

       

      です。

       

      そして、「ありがとう」をもらうには大きく分けて2通りのやり方があります。(これは極端な分け方で、もちろんこれ意外にもいろんなスタイルがあると思いますが。)

       

       

      自分のやりたくないことを我慢して「ありがとう」をもらう

       

      自分のやりたいことをして「ありがとう」をもらう

       

      前者は、面白くはないが「お金のため」と割り切って仕事をするやり方。これは、何も考えなくても確実に働いた分、一定の「ありがとう」がもらえます。でも時間と体力を提供するので、ストレスが溜まりやすいです。

       

      後者は、自分の好きなことができるのでストレスは少ないですが、どうやったら人に感謝されるかというところから全部自分で考えないといけません。自分のやりかた次第で「ありがとう」の量はかなり変わってくるので、不安定です。

       

      これは別にどちらが正しいとかではなく、人それぞれでいいんですが、ポイントは「一生のうちにどちらが沢山のありがとうをもらえるか」ということ。

       

      「好きこそものの上手なれ」というように好きなことはほっといても知識が増え、上達が速いものです。なので、ものづくりにせよ、サービスにせよ、好きなことをやってれば自然とクオリティが上がるので、同じことをしていても感謝される量が変わってきます。そして、それを「自分にしかできない唯一無二のもの」にまで高めることができれば、それは他では手に入らない貴重なものになるので「ありがとう!」は大きくなります。

       

      なので、自分のやりたいことを仕事にすれば、始めは「ありがとう」の量は少ないかもしれませんが、続けているうちにどんどん増えてくるはずです。ただ気をつけなければならないのは、いくら好きなことをしても、人から感謝されなければ仕事ではなく、個人的な趣味になってしまいます。

       

      大事なのは、ただ「好きなことしようぜ!」っていうんじゃなくて、「どうやったらより多くの人に感謝されるか」を考えたら、結果的に自分の好きで得意なことをやるのが一番効率いいし、自分も楽しいよね、ということ。(恥ずかしながら、僕も最近このことに気付きました。単に好きなことやればいいと思ってた。)

       

      「自分のため」よりも「相手のため」を常に優先させることが出来れば、結果的に自分も楽しく、豊かになれるんだと思います。

       

      情けは人の為ならず(情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ、という意味 by wiki)ですね。

       

      最近、結局日本むかし話みたいなオチになってしまうんですが、、まあ、そういうことなんでしょうね。

       

      あと書きながら気づいたのは、今の社会の働き方だと、自分のしていることが、どこで何の役に立っているのか見えにくくなっていて、「ありがとう」を実感できにくくなっているのも問題なのかなと思いました。

       

       

      とにかく、子どもには得意なことをどんどん伸ばしてほしいと思います。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      hideの「misery」考

      2018.05.16 Wednesday

      0

        唐突ですが、hideの「misery」という曲について語ります。

         

        Xjapanは苦手でしたが、hideのソロは当時(中学生かな)好きでした。

         

        最近久しぶりに聞いてみたら、

        当時は全然理解していなかった歌詞の奥深さに驚きましたので、

        ここはいっちょう歌詞の解説をしてみようかと思います。

         

        奇しくもhideの没後20年で近々ドキュメンタリー映画が上映されるそうなので、ちょうどよい機会かと。

         

        革作家が何やってんだと言われそうですが、とにかくやりたいことをやると決めたので、

        とりあえず書いてみます。

         

        曲はこちら


        この曲の背景は、難病を煩っているhideの大ファンの少女、 

        真由子ちゃんを励ますために作られたということです。優しいね。

         

        タイトルのミザリーとは「惨めさ、不幸、苦しみ」と、

        綺麗な響きとは裏腹になんともネガティブな意味となっています。

         

        なお、僕なりの勝手な解釈ですので、hideファンのみなさま、ご了承ください。

         

        それでは歌詞をみてみましょう。

         

         

        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        Do you wanna show me how low & low?
        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        Do you wanna show me how low & low?
        SAY ハレルヤ

         

        苦しみを讃えよう

        君は自分がどんなに悲惨な状況か見せたいのかい?

        さあ、讃えよう

         

         

        君の痛み うれしそうに 羽根を広げて舞い降りてくる
        昼の光は 君の傷を抱いて 優しく広げてゆく

         

         

        「痛みや傷」が、「うれしそうに舞い降りる」とか、

        「優しく広げる」とか、妙にポジティブな表現をしています。

         

        ハレルヤ ラ ミゼラブル 星の嘆き聞けば
        ハレルヤ ラ ミゼラブル ほんの小さな事だろう
        SAY ハレルヤ

         

        夜の闇に落ちてゆけば 忘れてしまう事なのかも

        揺れる思い つかのまの夢 小さな悲劇

         

        降る星の数 数えたら 泣くのに飽きたろう
        笑う月の蒼さ 傷をなでて 閉じてゆく

         

        このあたりは星の途方もない距離や時間と比較して、

        君の苦しみは君が思っているより小さなことかもしれないよ、

        夜の闇に落ちる=眠ってしまえば(無意識になれば)忘れる程度のことかもしれないよ、と

        冷静に苦しみと向き合って、その苦しみの大きさを客観的に認識することで

        楽になっていくかもしれないと言っているようです。

         

        そしてサビ。

         

        Stay free your misery.

        降りそそぐ悲しみを その腕の中に抱きしめて
         

        Kiss your misery.
        枯れるまで踊るだろう 全て受け止めるよ このまま

         

        Stay free my misery.

        Stay free my misery.
        Stay free my misery.

         

        stay free 直訳すると「自由なままでいる」

        苦しみから自由なままでいろ=「苦しみに囚われるな」という意味だと思います。

         

        「苦しみに囚われる」とはどういうことか?

         

        意識が「苦しみ」に張り付いてしまうことで、

        自分のなかで苦しみをどんどんを大きくしてしまっている状態。

         

        例えばどこか痒い時、掻けば掻くほど痒いところが広がっていって、

        つい皮膚を傷めてしまう程掻きむしってしまうことありませんか?

         

        真夏に「暑い暑い」と言うと余計に暑く感じたりだとか。

         

        他のことに集中していると、以外と痒さとか暑さとか忘れてたりするのに。

         

        なにかネガティブなものに意識を向ける(抵抗する)と、それが自分の中で、

        実際以上に大きな存在になる。

        大きな存在になるから、またつい意識(抵抗)してしまう、

        そしてまたネガティブを肥大させてしまう。

        このネガティブの悪循環に陥ってしまっていることに自分では気づかず、

        抜け出せなくなってしまっている状態。

        それが、「苦しみに囚われた」状態だと思います。

         

        抵抗するものははびこるのだ!

         

        ちなみに「囚」という文字は人という字が壁に囲まれてますね。

        ネガティブなものに抵抗してせっせと壁を作って、そこから出られなくなっているのは、

        まぎれもなく自分自身。

         

         

         

         

        ではどうするか?

         

        そう、抵抗しない。「受け入れる」んです。

        ありのままの苦しみを受け入れて「気にしない」んです。

        そうすれれば、それは脳内で肥大することなく、

        いつかは消えてなくなります。

         

        心頭滅却すれば火もまた涼し

         

        心を自由に、ニュートラルに保つことの重要性を言ってます。

         

        Stay free my misery.
        炸裂する痛みが 駆けぬけるだけの風ならば

         

        Stay free my misery.
        雨のち晴れを待とう ほら 君の涙を食べちゃおう

         

        君の涙を食べちゃおう、とポップでキャッチなフレーズから

        レゲエ調のCメロへと繋がります。

        そしてここからがこの作品のキモ。

         

        悲しいと言うならば 空の青ささえも
        届かないもどかしさに 君は泣くんだろう

         

        この世に起こる出来事、現象はすべて”良い”も”悪い”もなく

        ニュートラルです。そこから何を見いだすかは自分の思考次第。

        物事のネガティブな側面しか見なければ、例え青空を見ても

        「あそこに届かない。もどかしい!」などとネガティブな要素を探し出しては悲観的になるのです。

         

        コップに水が半分入っているのを見て

        「もう半分しかない」と思うか、

        「まだ半分もある」と思うか、

         

        「いい」、「悪い」を決めつけ、幸、不幸を選択しているのは、すべて、いつでも、

        自分自身の思考なんです。

         

        君の小さな身体包んでる夢は 痛みを飲みこみ 鮮やかになる
         

        「君の小さな身体包んでる夢」とは何でしょうか?

         

        ここからかなりぶっとんだ解釈になりますが、

         

        「君の小さな身体」が自分の本質的な部分、(こころ、魂、目に見えないもの)

        だとすると、それを包んでいる夢とは、肉体(物質、目に見えるもの)であり、

        自分の体というのは確かに存在しているような気になってますが、

        原子レベルで見ると、食べ物を入れたり出したり、呼吸したり、髪の毛が抜けたり、

        常に他の物質と交流しており、どこからどこまでが自分の身体なのか、というのは実は曖昧です。

        人の体の細胞は数年ですべて入れ替わるらしい。

         

        肉体(物質)というのは、とどまることのない、確かに在るような、無いような、

        うたかたの夢のようなものと言えるのではないでしょうか。

         

        形あるものはすべて空である。

         

        これぞ「色即是空」

         

        ブッダまで出て来た!なんてこった!

         

        そしてその「夢」は痛みを飲みこみ、鮮やかになる。

         

        失ってはじめて有り難さがわかるように、

        病気になってはじめて健康の大切さがわかるように、

         

        ネガティブなものがあるからこそ、ポジティブなものを認識できるんです。

         

        闇がなければ光も存在しません。つねに陰陽はセットです。

         

        ポジティブが良くて、ネガティブが悪いというわけではありません。両方必要。

        大切なのは、囚われないこと。

         

        ネガティブに囚われている自分に気づき(重要!)、受け入れることではじめて、真のポジティブに

        気づくことができ、命が鮮やかに輝きだすんです!

         

         

        Stay free my misery.
        手を伸ばせば感じる その痛み両手で受けとめて

         

        Stay free your misery.
        愛しさを 憎しみを 全て受け止めて そのまま

        Stay free your misery.

        Stay free my misery.
        降りそそぐ悲しみを その腕の中に抱きしめて

         

        Stay free your misery.
        枯れるまで踊るだろう 全て受けとめて この空の下で 君が笑う

         

         

        あとはもう、ひたすら「受け入れろ」と言っております。

         

        そしてついに「君」は悲しみを抱きしめて、

         

        (いままでは届かないと言って泣いていた)空を見て、

         

         

         

        笑うんです。

         

         

         

        感動の着地!!

         

         

         

        *「この空」というところもポイント。青空でも曇り空でもない。

        どんな空であろうと「いま、この瞬間」の空を見て笑えるかどうか。

        例え雨でも、いま、この空を見て笑えないのであれば、未来に

        青空になったとしても笑えることはない。

        幸せを未来に求めても、「いま」幸せを感じられなければ、

        「いま」の延長線上にある未来に幸せを感じることはできないのだ。


         

         

        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        I wanna show you how low & low?
        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        Do you wanna show me how low & low?
        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        I wanna show you how low & low?
        ハレルヤ ラ ミゼラブル
        Do you wanna show me how low & low?
        SAY ハレルヤ!

         

        苦しみを讃えよう

        俺がどんなに悲惨な状況か君に見せたがると思うかい?

         

        悲しみを讃えよう

        君は自分がどんなに悲惨な状況か俺に見せたいのかい?

         

        さあ、讃えよう!

         

        最後の訳は難しいんですが、「俺」はhide本人のことで、

        「君」は真由子ちゃんのことかなあと思います。

         

         

         

         

        ということで、ずいぶん長くなりましたが、解説でした。

        言いたい事が伝わっただろうか、、

         

         

        病気であるファンの子に対して、頑張れとか、負けるなとか安易な言葉じゃなくて、

        「受け入れろ」と言う。これはそうとう本気で考えて、深くまでイメージしないと出ない言葉だと思うんです。

         

        hideとうい人物の奥深さや曲のセンスは底が見えないところがあって、

        改めて聴いてみると、何か、光と闇の狭間で揺れ、葛藤していた人のように感じます。

        どのように進化するのか、もっと見ていたかったアーティストです。

         

        いかがでしたでしょうか。また気が向いたら「ever free」という曲の解説もするかもしれません。

        こちらも大好きな曲。

         

        それでは。

         

         

         

         

         

         

         

         

        「其れ恕(じょ)か」

        2018.05.07 Monday

        0

          「子貢、問うて曰く、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。

          子の曰わく、其れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」

           

          生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、

          孔子は「まあ恕だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。と答えました。

           

          恕とは相手の気持ちを考える、思いやりのこころ。

           

          これは7年前の今日、結婚式をあげた白山比め神社からいただきました。

          当時はあまりピンと来なくて、字面も”怒”や”怨”に似ていてなんかこわいし、

          何だ かなーと思って飾ってなかったんですが、

          最近ふと、”心の如く”と書いて”恕”なんだなと気づいたら、

          すごく大事なこと言ってるんじゃないかと思ってごそ ごそと引っぱり出し、

          カミさんに「恕なんだよ、じょ、大事なのはじょ!」とか言って「ふーん」て流されてたんですが。

           

          相手の気持ちを考えるって、簡単なようで、なかなか難しいことですよね。「

          自分がされて嫌なことは人にしない」って子どもにも言いますが、はたして大人は 実践できているのだろうか?

          幼稚園児のケンカから、果ては国家間の戦争まで、結局両方自分が正しいと思ってるから争いになるわけで、

          正しいか正しくないか で物事をみると、「正しい」の基準は人によって違うし、世代や国や環境によって様々です。

          自分が正しいと思うと喧嘩になるのは当たり前なんです。

           

          大事なのは正しいかどうかじゃなくて、こころ。

           

          相手の気持ちを想う想像力。

           

          ということに今更ながら気づきました。これからもよろしくお願いします。

           

           

           

           

           

          サザエさんの「何もなさ」について

          2018.03.26 Monday

          0

            最近やたらとサザエさんを見ている。

             

            うちはテレビは置いてないので、子どもにはパソコンで動画を見せている。

             

            3才になった息子が保育園で覚えてくるのか、仮面ライダーや戦隊ものを

            見たがるようになり、ちょくちょくみせていたが、
            内容をまだ理解できない子どもにとって、ただ異形のものを悪とみなし、

            問答無用にやっつけるのは、教育上良くないのではないかと思い、
            なるべくジブリや日本昔話など、自分の好きなものだけを見せていた。

             

            ただそればっかりだとさすがに飽きてくるので、他に何か適当なものはないかと

            探していたところ、ある日ひょんなことからサザエさんを見てみた。

             

            無害である。

             

            暴力的なシーンも無ければ、戦隊もののようなおもちゃ会社の思惑もない。

             

            これはいい。安心だ。

             

            しかし、サザエさんの凄いところは、無害であるどころか、

            愛や友情の大切さをうたうこともなければ、人生における教訓もない。

             

            なにもないのである。

             

            見終わった後に何の印象も残っていない。
            ストーリすら思い出せない。

             

            これはどうゆうことだ。

             

            この何もなさはただごとではない。

             

            サザエさんとは一体なんなのだ。

             

            サザエさんのことはもちろん知っている。
            僕が子どものころからテレビで放送していたあの国民的な人気アニメだ。
            あれはたしか土曜の夕方だったか。
            火曜にもやっていた気がする。
            週に2回もやっていたのか。すごいぞ。

             

            そんなに見ていたのなら、

            当然僕の幼少期はサザエさんにどっぷり浸かっていたわけであり、

            成長するうえでの何らかの影響を少なからず与えているはずである。

             

            そう、サザエさんと言えば・・

             

             

             

            わからない。

             

             

             

            サザエさんとの思い出が出てこない。

             

            そんなはずないじゃないか、あんなに慣れ親しんだサザエさん、
            なにか1つぐらい記憶に残っているはずだ。

             

            そうだ歌があるじゃないか。
            誰もが知っているあの有名な歌が。

             

             

            ♪おさかなくわえたドラねこ追っかけて
            はだしでかけてく陽気なサザエさん

             

             

            おお、猫を追いかけてはだしで出てったのか、

            これは面白くなりそうな予感がするじゃないか。

             

             

            ♪みんなが笑ってる、お日さまも笑ってる

             

             

            ああ、そんなサザエさんを見れば確かにみんな笑うだろう。
            それよりサザエさんはどうなったんだ?続きが気になる。

             

            しかしここで唐突に

             

             

            ♪ルールルルルッルー
            今日もいいてんきー

             

             

            である。

             

            始まりかけたストーリーを丸投げしてルールルルルッルーである。
            そこから投げやりに今日もいいてんきーで強制終了だ。

            起承転結の起しか提示していない。

            もう意味というものをまるで拒絶している。

             

            このようにサザエさんは一事が万事この調子で、
            どこをとっても雲をつかむようにするりするりとかわされる。

             

             

            サザエさんは僕らに何も与えてはくれない。

             

             

            と、ここまで書いて僕は気付いた。

             

            僕たちは日々のあくせくした暮らしの中で、

            他人から何かをもらうことばかり考えていたのではないか。
            生きることに意味ばかり追い求め、得ることにしか意味を見いだせなくなっていたのだ。
            与えてくれないものには価値がない、と思い込んでいた。

             

            そんな僕ををあざ笑うかのようにサザエさんは

            何も起こらない日常をただ陽気にすごしている。

             

            それこそがサザエさんの教えなのかもしれない。

             

            何も起こらない日常にこそ真実の安らぎがあると。
            みんなが笑って、いい天気ならそれでいいじゃないかと。

             

            サザエさんに「あなたは何者か」と問えば、彼女はきっとこう答えるだろう。

             

            「サザエでございまーす」と。

             

            そこには、どこにも帰属しない、なんの肩書きもない、

            いっさいの社会的な意味から解放された
            一人の等身大の女性が立っている。

             

            それ以上でも、それ以下でもない、ありのままのサザエさんが。

             

            何も奪わず、何も与えない。

            そして何にもとらわれない。

             

            サザエさんは自由である。